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母の誕生日(2) [母の弔い]

今日は、母の誕生日で。
あの忌まわしい日がくることなく、平和に生きていたら、今年で七十八歳。

例年のごとく、私は、朝。
仏壇に御参りをする際、和菓子をお供えして、ハッピーバースディを歌った。

母のいない誕生日は、これで四回目。
そして、新居で迎える二度目の誕生日。
二年前の今日、私は、新居に住民票を移した。

そして……。
あの地獄の引越しから、もう、二年がたとうとしている。
振り返ってみても、この二年は、ウソのように早かったと感じる。

母が逝ってから、旧宅で過ごさざるを得なかった一年十一ヶ月の、気の遠くなるような長さに比べたら。
この二年は、時間がまるで別の組成のように。
サラサラと流れて、いつの間にか、今日の日を迎えていた。

一年前、私は。

今でも、薬局の窓から外を眺めていると。
ちょっと先に見えるバス停に降りた母が、生前よくやってたように、笑顔でこっちに手を振っている。
そんな姿が、ひょいと現れそうな錯覚に陥ることがある。

と、書いたけど。

最近、そういう錯覚に陥ることは、以前よりははるかに少なくなった。

母は、もう、この世に体がない、から。
母の骸(むくろ)は、焼いて、骨にして。
私が最後のひとかけらまで、拾ったのだから。

もう、それは、ないのだ、と……。

……しかし。

その事実を、理性ではわかっていても、感情がほぼ納得するまでに、ここまでの月日を必要としたのだ、としたら。
正直、今の私は、過去の私に、その過酷な事実を告げる勇気は、ない。

それでも、薄皮が一枚、一枚、剥がれて落ちていくように。
悲しみの感情を、時とともに過去に残しながら、ここまで導いてくれたもの全てに。
私は、あらためて、心から感謝したいと感じる。

最近は、総合警備保障の機器の上の、母の満面の笑みの写真に話しかけても、涙が出ることはほとんどなくなった。
写真の母は、七十四歳のまま。
しかし、私は、あれから四年生きて、今、こうしてここに居る。

そして、これから、私は、どう生きていきたいのか。

最近、そのことを考えると、いろいろ思うところもあり。
あっという間に、時間がたってしまうが。
母がこの世からいなくなった八月二日までには、何かしら、方向性を見いだせればと。

そう思えるようになった自分に、少しホッとする、また別の自分がここに居る。
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ミィシャ

月うさぎさん、niceありがとうございます。
by ミィシャ (2011-06-22 04:23) 

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