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愛する人と死別した人へ [グリーフ・ケア]

今日の薬局は、通常の月曜の混みようで、まぁまぁ。
緊急携帯は平和。

そんな訳で、本当は、もっと精神エネルギーがたまってから、とか。
ちょっと時間が出来てから、とか。
自分に言い訳というか、グズグズ二の足を踏んでいたのですが、でも、本当は。
ここのところ、ずっと、書きたくて書けないでいたことを、エントリーしようと思います。

2011年3月11日、午後2時46分。

この時刻は、多くの人にとって、一生忘れえない時刻になってしまったのでは、ないでしょうか。
いつもの平和な午後をいきなり鋭利な刃物で切り落とすかのように、唐突に訪れたその時刻。
その前と後では、同じ時が流れているとはとうてい思えないほど、全てが変わってしまったような。
そんな、どこにも憤りようがない厳しい現実を思うたび、私は、強い無力感に囚われてしまいます。

今回の震災において、私は直接は、被災していません。

しかし。
私にも、一生忘れられない時刻があります。

2007年8月2日、午後8時23分。
直前まで元気だった最愛の母が、心室細動で瞬間死し、搬送先の病院で、医師から死亡宣告を受けた時刻、です。

同日午後6時55分。
母は、いつも通り元気に、私の車で、お茶の出稽古に行き。
そして、私が自宅に戻った瞬間、家電に母が倒れたとの一報が入り……それから……。
救急救命室で、一人で医師から母の死亡宣告を受け、目の前のベッドに横たわる母のだらんと垂れた左手を握った時。
その手の冷たさに、母の魂は、もうとっくに肉体から去ってしまったのだと、悟った時。

あの瞬間、私は、地獄に堕ちました。

それまで、この世に地獄が本当にあるとは、思ってもいませんでしたが。
後戻りできない地獄に突然落とされることが、あるのだと……。
でも、その時の私は、まだ、その本当の恐ろしさをわかってなかったのですが……。

それからの展開は、過去の私のブログで断片的に、記載されています。

しかし、過去のブログは、時系列的に、しかも、当時の自分を通しての事柄として、書かれているに過ぎないので。
本当は、もう少し整理するというか。
どうにかできないか、一般的な視点で何かできないか、と、震災後から、考えてはいたのです。

で、実は、そう思って、当時のブログを、改めて読み返した時。
あの夜の、当地としてはありえない異常な暑さ、とか。
たった一人、救急救命室で、母の死亡宣告を医師から言い渡された時のつぶされるかのような心臓の痛み、とか。
それからの、地獄のような、日々の辛さや悲しさや、怒り、とか。
そういったモノとまともに向き合わざるを得なくなってしまい。
正直、精神的にきつくて、作業が進まないという暗い穴に自ら落ちてしまった、ワケ、なのでした。

これは、つまり、今でも私も「悲哀の仕事」の最中である、と、いうことの証なのですが。

しかし、モタモタしていたら時間ばかりがたつので、とりあえず、今の私なりに思うことを書けたら、と。
そう、思って、新しいカテゴリーを立ち上げました。
系統だったものにしようとすると、いつ始められるかわからないし、読んだ本なども紹介しながら。
とにかく、思いつくままに、書きたいことを書いていこうと思っています。

私も、母が逝ってから、多くの方達のブログに救われたり、癒されたり、したことも多々あったので。
今回の震災で、御家族、御親戚、御友人……その他、すべての「愛する人」を失われた方達に、よせて。
微力ながらお返しというか、何かできれば、と。

不定期になるとは思いますが、どうぞ、皆様。
頑張りすぎないで、御自愛くださいますよう、ご健康をお祈りしております。
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ミィシャ

いとまんさん、niceありがとうございます。
by ミィシャ (2011-04-07 07:38) 

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