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母の想い出(3) [母の弔い]

今日は、年末年始休暇2日目で。

朝から、買い物に行ったり、やり残していた掃除をしたり、特に記載することもないし。
実は、昨日のことだけど、母が逝ってから、ずっとしたかったけど出来ずにいたことが、出来たので。
そのあたりを書こうと思う。

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これは、昨日、私の新居の床の間に、私が掛けた「無事」の掛物。

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そして、こちらは、もう少し、ひきの写真である。

ここ最近、年の瀬も押し迫っているにもかかわらず、その実感がないと何度も書いたと記憶しているが。
母の存命中に師走を告げたのは、常に、旧宅の床の間の、この「無事」の掛物であった。

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まぁ、平和な水曜日 [母の弔い]

今日も、薬局はホドホド。
どうやら今週は、暇週のようだ。
そんな中、今日は、仕事の合間に、チリの救出劇を見ていた。
本当に、本当に、助かってよかったけど。

実は、私は、こういう生死のかかった極限ライブを、いまだに、正視しきれない自分を感じてしまう。
まぁ、PT〇D(Post-traumatic stress disorder)的なのだ、と、思う。
母が瞬間死したコトや、その後の生活環境などが原因なのは、言うまでもないが。
引越ししてから、もう、丸1年になろうとしているのに、心的〇傷後ストレス障害(P〇SD)的なものが、ここまで長引くということには、正直、うんざりだ。

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母の想い出(2) [母の弔い]

今日は、特に何もすることのない日曜で。
ちょっと不要物をゴミ袋にいれたり、買い物に行ったりしてたくらいで。
特筆することがないので。

母の想い出を、書こうと思う。

母は、表千家の茶道教授であった。
最初にお稽古を始めたのがいくつの頃なのか、具体的に確認したことはなかったけど。
学生時代の写真の中に、着物を着てお点前をしているモノがあるので。
74年の生涯のうち、60年くらいは、茶道とともに生きてきたと推測される。

茶道が生きがいであった母は、家庭よりも茶道を優先することがしばしばあった。
その逆の状況になると、すこぶる機嫌が悪くなるので。
子供の頃から、私は、母が機嫌よく茶道をしてくれていたら、たとえ学校から帰宅した際、ほとんどいないことのほうが多くても、そのほうが平和でよいと感じるようになっていった。
それは、母が逝ってしまうまでの、私の基本的認識である。

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母の想い出(1) [母の弔い]

今日は、朝からかなりの雨で、ヘタレの私は早々に徒歩1分通勤を断念し、車で出勤。[車(セダン)]
やはりというか、天候が荒れると患者の来具合はよろしくなく。
終日、平和に、ほどほどだった。(まぁ、実は、その割に新患祭りではあったのだけどね~)

んで、特筆するようなこともないので、本日は、母の想い出を綴ろうと思う。

母が逝って丸三年が過ぎ、少しづつではあるが。
感情的に、この世にいない人と、位置づけることが出来るようになってきたと感じるので。
母との想い出を、健忘録も兼ねつつ、記録していくのもココロの整理になる気もするし。
まぁ、やっとその段階になってきたか、って、ことで……。[手(チョキ)]

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三年目の祥月命日 [母の弔い]

三年前の2007年の8月2日。

あの夜は、異常に暑かった。
前日までの当地は、むしろ夏の気配もないほどの涼しさだったのに。
迫り来る台風故のフェーン現象からか、とにかく、不気味なくらいの異常な暑い湿った空気が辺りに満ちていた。

母は、その日お茶の出稽古で、夜6時頃から着物に着替えだし。
準備が整った6時半には、もう、額から汗を流して元気がなく、不快そうだった。
「今日は、着物は暑いね」
私は、母にそう言ったのをはっきりと覚えている。
しかし、お茶の先生にとって着物は戦闘服で。
いくら暑くても洋服などでは、お稽古には行けないというのが母の信条なのがわかっていたので、それ以上は何も言わなかった。
そして、私の車で送って出稽古先のお寺に行き、いつものように玄関口で降りたあと。
私の車がその敷地から出て行くまで、いつまでもバイバイし続ける母を、ミラーごしに見て別れたのが、午後6時55分。

ほどなく母はお稽古を始め、お寺の茶室で、お弟子と会話をしつつ、棗に抹茶をはる動作をしながら、ふと崩れるように倒れたとのことだ。
心室細動。
まだあのころは今のようにAEDも設置されておらず、5~6分で来たという話の救急の救命も意味無く。
倒れてから10分ほどで、絶命してしまったと考えられる。

あれが、今生の別れになった。

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平和な日曜日 [母の弔い]

今日は、昼頃、お寺さんがみえて、御参り。
ここ数回は、お寺の若さん(大学院に行ってて、戻ってきたので、26~7歳くらいかなぁ~)がみえてるのだけど。
若い人は、さわやかでいいですね~。[わーい(嬉しい顔)]

で、その後は、なんとなく26時間TVをダラダラと観てました。
しかし……。
暑いんだなぁ~。[がく~(落胆した顔)]
こっちもまぁ、暑いけど(私には)、レベルが違いますね……。
おや、山田〇太郎が、走っている……。
足が痛そうだ……。

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花祭り他 [母の弔い]

今日は、お寺の子供花祭りで。
母が生前は呈茶をしてた関係で、母が逝ってからはジョウヨのお饅頭を100個寄付させていただいているのだけど。
(呈茶はナシ。正直、私でもやってできなくはないけど、お運びとかも必要だし、一人じゃ出来ないので、今はそこまではやる気は無いです)
で、その支払いと、ついでに多めに作ってもらって、知人におすそ分けする分を取りに、地元のお菓子屋さんへ。
んで、その後。
S先生や、母の知人のMさんや、建築屋さんの会長の奥さんのトコに、お饅頭を配りまくり。
先生には、庭のお茶花をいただいて、戻ってから早速植えました。

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母へのお土産 [母の弔い]

今日は、世間では感謝とともに、プレゼントを贈る母の日。
でも、私にとっては、母が逝ってから3回目の母の日で。
3回目の今年でも、たとえばTVで「母の日には、お母さんに感謝をこめて、〇〇を贈ろう!」なんてCMを見たりすると、正直チクンと心に痛みが走るのを感じずにはいられないでいた。
で……プレゼント、どうしようかなぁ、と。
あの人は、もともと、カーネーションはいらないっていってて、最後の数年は茶花の苗を買ってあげることが多かったのだけど。
でも、どうしようと、ずっと悩んでいた。

ちなみに、昨年や一昨年の記録を見返してみると、母の日の記載がない。
頭の中では、考えていなかったはずはないのだが。
おそらく、触れたくないくらい哀しかったんだと。
まぁ、そう思うと、今年はこうして書けるようになったんだなぁ、と、感慨深くはある。

で、予定通り、政令指定都市の薬学大会に行って。

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プチドッキリと骨堂参り [母の弔い]

昨日のことだけど。
午後の3時頃、PCを使用していたら、突然、液晶が暗くなった。
一瞬何が起こったか解らなかったけど、バッテリーマークが出ているので、合点がいった。
「……停電だよ……おいおいおい」[がく~(落胆した顔)]
おいおい、を、言っている間、脳にいろいろなことが駆け巡る。
なんと言っても、ウチは、オール電化なのだ!!!
停電になって、再通電した際に何と何をチェックすれば支障が無いのか?!!
うろたえている間に停電は終ったようで、その間10秒くらいか……。
それから、建築屋さんに貰った家の全家電の説明書のファイルを取り出して、家中の機器の総点検をする羽目に。[もうやだ~(悲しい顔)]

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突然の訃報 [母の弔い]

今日の薬局はまぁまぁ。
で、帰宅して、母の御花を買ってきて、活けていたら。
お茶のS先生から電話で、母の旧知のR先生が亡くなったとの連絡が入った。
明日は御通夜で、それから、喪服の準備やら、いろいろしていた。
「Rさん、そっち逝ったんだね……」
笑っている母の写真を見上げる。
あの世の母は、もう知っていることだろうけど。
生きていた母の事を知っていて、懐かしんでくださる人がまた逝ってしまったと思って。
なんとも寂しい思いに囚われてしまう自分を、どうすることもできない。
今年の夏で、母が逝って三年になる。
あの瞬間から、私の中の時間がおかしいのだけど。
それでも、確実に今の時は流れているのだと、思い知らされて愕然とする。

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