グリーフ(悲哀)の意味 [グリーフ・ケア]
本日は、母の月命日のお参りで。
特にそれ以外に、記載事項もない穏やかな日だったので。
「グリーフ・ケア」について、エントリーしようと思います。
(ってことで、携帯で読んでいる人は、ゴメンナサイの日、であります)
最初に、このカテゴリーに興味をお持ちの方には、ぜひ。
4月9日エントリー(http://iikagenn.blog.so-net.ne.jp/2011-04-09参照)の後半部分をお読みいただければ、と考えますと同時に。
これから、具体的に「死別の悲しみを癒すアドバイスブック」に沿って、話を進めていく前に、もう一つ。
今日は、私が認識している、「グリーフ(悲哀)」について、ふれておきたいと思います。
実は、このエントリーも、すでに「グリーフワーク(悲哀の仕事)」を始められている方達の「癒し」にはほとんどならないだろうことは、私は十分承知しています。
しかし、それでも尚。
「グリーフ(悲哀)」というものをご存じない方には、それを認識した上で、以後のエントリーを読んでいただきたいと、そう考えます故。
さらなる回り道、お付き合いくださいませ。
まず、「グリーフ(悲哀)」とは。
「愛する対象を失うこと、によってひきおこされる一連の心理過程のことである」と、次に示す小此木啓吾氏の本の中に、詳しく述べられています。
(詳しくは、フロイトの研究にまで遡りますが、その辺りは、ここではさすがに割愛します)。
対象喪失―悲しむということ (中公新書 (557))
(私はこの本を2007年10月31日、アマゾンに注文しています。残念ながら、当初、私がこれで癒されることはありませんでした。しかし、今になって感じるには、ある程度たった後で結構なので、ぜひ一度、読みたい一冊ではあります)
つまり、「グリーフ(悲哀)」は、「愛する人と死別」することでもたらされる「情動と行動の一連の反応」ということになり。
その点に関して、母の死後の私の「死別」に対する認識の変化を踏まえて。
実は、これを、単なる「普通の死別」と区別した方がいいと、今、私は感じています。
言ってしまえば、母が突然逝くまでの私にとっては、「死別」とは、実は、そう身近なものではなかったということになるのですが。
一番最初に「死別」を認識したのは、7~8歳の頃、母方の曾祖母の葬儀だったと記憶しています。
それ自体は、悲しみや戸惑いも特になく、今まで居た「ヒイお祖母ちゃん」が居なくなったんだ、という、子供が感じるレベルでの、「情報や知識としての死別」の認識にすぎず。
さらに、成人して間もない頃に、父方の祖父母が相次いで亡くなった時期があったようですが。
疎縁だった為、私は、死因はもちろんのこと、亡くなった日すら未だに具体的には知らず、無論葬儀にも参列することなく。
その後は、幾多の他人様の葬儀に参列するも、それに対しては、普通の「死別」に外側から触れる程度の心理過程をたどるにとどまり。
やがて、三十代半ばにおいて、母方の祖父母との「死別」に至り、とても可愛がってくれた祖父母だった故、そこで初めて、やや「死別の内側」に存在する心理過程をたどったのを記憶しています。
が、しかし。
それでも、その祖父母との「死別」ですら、やはり「普通の死別」の延長にすぎなかったのだと。
母が逝った後、私は心底思い知らされることになります。
2007年8月2日以後。
(当時の、そのあまりの激しく耐え難い感情的苦痛は、3年9ヶ月たった今でさえ、思い出すのが辛いほどであり、私にとって、全く、信じがたいものでありましたが)
まるで、私の心から母の形の人型が抜け落ちて、ポッカリ穴が開き、そこからダラダラと真っ赤な血が流れているかのような。
そんな、とてつもない苦痛が絶え間なく襲いかかり、それまで、そのような、いわばコントロール不能なほどの感情的悲哀を味わったことなど、なかった私にとって。
まさに、それは、この世にいながらにして、地獄に堕ちたかのごとく。
そんな思いをいだかせるに余りある、「酷さ」でありました。
つまりは、そういった、愛していた分相応の、大きな血だらけの欠落を心にもたらす衝撃が、「愛する人」との「死別」、ということであり。
そして、それによってもたらされる強烈な「悲しみ」や「嘆き」を表す言葉が、「グリーフ(悲哀)」、ということになります。
さらに、どんな「グリーフ(悲哀)」にも、二つとして同じものは、ない、と考えるのも大事な点だと思います。
そこを踏まえないで「悲哀の仕事」に進むのは、さらなる大きな問題を引き起こしかねないと、感じますので。
……長くなりました。
それでは、どうぞ、皆様。
頑張りすぎないで、御自愛くださいますよう、ご健康をお祈りしております。
特にそれ以外に、記載事項もない穏やかな日だったので。
「グリーフ・ケア」について、エントリーしようと思います。
(ってことで、携帯で読んでいる人は、ゴメンナサイの日、であります)
最初に、このカテゴリーに興味をお持ちの方には、ぜひ。
4月9日エントリー(http://iikagenn.blog.so-net.ne.jp/2011-04-09参照)の後半部分をお読みいただければ、と考えますと同時に。
これから、具体的に「死別の悲しみを癒すアドバイスブック」に沿って、話を進めていく前に、もう一つ。
今日は、私が認識している、「グリーフ(悲哀)」について、ふれておきたいと思います。
実は、このエントリーも、すでに「グリーフワーク(悲哀の仕事)」を始められている方達の「癒し」にはほとんどならないだろうことは、私は十分承知しています。
しかし、それでも尚。
「グリーフ(悲哀)」というものをご存じない方には、それを認識した上で、以後のエントリーを読んでいただきたいと、そう考えます故。
さらなる回り道、お付き合いくださいませ。
まず、「グリーフ(悲哀)」とは。
「愛する対象を失うこと、によってひきおこされる一連の心理過程のことである」と、次に示す小此木啓吾氏の本の中に、詳しく述べられています。
(詳しくは、フロイトの研究にまで遡りますが、その辺りは、ここではさすがに割愛します)。
対象喪失―悲しむということ (中公新書 (557))
(私はこの本を2007年10月31日、アマゾンに注文しています。残念ながら、当初、私がこれで癒されることはありませんでした。しかし、今になって感じるには、ある程度たった後で結構なので、ぜひ一度、読みたい一冊ではあります)
つまり、「グリーフ(悲哀)」は、「愛する人と死別」することでもたらされる「情動と行動の一連の反応」ということになり。
その点に関して、母の死後の私の「死別」に対する認識の変化を踏まえて。
実は、これを、単なる「普通の死別」と区別した方がいいと、今、私は感じています。
言ってしまえば、母が突然逝くまでの私にとっては、「死別」とは、実は、そう身近なものではなかったということになるのですが。
一番最初に「死別」を認識したのは、7~8歳の頃、母方の曾祖母の葬儀だったと記憶しています。
それ自体は、悲しみや戸惑いも特になく、今まで居た「ヒイお祖母ちゃん」が居なくなったんだ、という、子供が感じるレベルでの、「情報や知識としての死別」の認識にすぎず。
さらに、成人して間もない頃に、父方の祖父母が相次いで亡くなった時期があったようですが。
疎縁だった為、私は、死因はもちろんのこと、亡くなった日すら未だに具体的には知らず、無論葬儀にも参列することなく。
その後は、幾多の他人様の葬儀に参列するも、それに対しては、普通の「死別」に外側から触れる程度の心理過程をたどるにとどまり。
やがて、三十代半ばにおいて、母方の祖父母との「死別」に至り、とても可愛がってくれた祖父母だった故、そこで初めて、やや「死別の内側」に存在する心理過程をたどったのを記憶しています。
が、しかし。
それでも、その祖父母との「死別」ですら、やはり「普通の死別」の延長にすぎなかったのだと。
母が逝った後、私は心底思い知らされることになります。
2007年8月2日以後。
(当時の、そのあまりの激しく耐え難い感情的苦痛は、3年9ヶ月たった今でさえ、思い出すのが辛いほどであり、私にとって、全く、信じがたいものでありましたが)
まるで、私の心から母の形の人型が抜け落ちて、ポッカリ穴が開き、そこからダラダラと真っ赤な血が流れているかのような。
そんな、とてつもない苦痛が絶え間なく襲いかかり、それまで、そのような、いわばコントロール不能なほどの感情的悲哀を味わったことなど、なかった私にとって。
まさに、それは、この世にいながらにして、地獄に堕ちたかのごとく。
そんな思いをいだかせるに余りある、「酷さ」でありました。
つまりは、そういった、愛していた分相応の、大きな血だらけの欠落を心にもたらす衝撃が、「愛する人」との「死別」、ということであり。
そして、それによってもたらされる強烈な「悲しみ」や「嘆き」を表す言葉が、「グリーフ(悲哀)」、ということになります。
さらに、どんな「グリーフ(悲哀)」にも、二つとして同じものは、ない、と考えるのも大事な点だと思います。
そこを踏まえないで「悲哀の仕事」に進むのは、さらなる大きな問題を引き起こしかねないと、感じますので。
……長くなりました。
それでは、どうぞ、皆様。
頑張りすぎないで、御自愛くださいますよう、ご健康をお祈りしております。
2011-04-24 20:26
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