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グリーフ・ワーク(悲哀の仕事)の道のり [グリーフ・ケア]

私的にはGW二日目ですが、世間的には平日であり。
特に記載事項なしだったので、本日は「グリーフ・ケア」についてエントリーしようと思います。
(ってことで、携帯で読んでいる人は、ゴメンナサイの日、であります。あしからず。[ちっ(怒った顔)]

前々回、前回と、グリーフ(悲哀)の特殊性について、触れてきましたので。
今回は、エントリーの初回に紹介したサンダーズ氏の「死別の悲しみを癒すアドバイスブック」の中に示されている、「悲哀の仕事(グリーフ・ワーク)」のプロセスについて、記していきたいと思います。

突然母が逝ってしまった、当初。
「愛する人を失ったことを悲しみ、それを乗り越えていく道」は、私にとって、まったく未知の過程(プロセス)でありました。
よって、その間の人の心の反応・流れについて学ぶ必要があると感じ、幾多の本を読み、情報を得たいと思ったのですが。
全体としては、今現在において、サンダーズ氏の示している五段階が、だいたい妥当だったと感じています。

つまり、「第一段階(ショック)、第二段階(喪失の認識)、第三段階(引きこもり)、第四段階(癒し)、第五段階(再生)」の「五段階」で、あります。

前回のエントリーで、私は母が逝った「2007年8月2日以後」の心の状態を。
「まるで、私の心から母の形の人型が抜け落ちて、ポッカリ穴が開き、そこからダラダラと真っ赤な血が流れているかのような。
そんな、とてつもない苦痛が絶え間なく襲いかかり、それまで、そのような、いわばコントロール不能なほどの感情的悲哀を味わったことなど、なかった私にとって、まさに、それは。
この世にいながらにして、地獄に堕ちたかのごとく、そんな思いをいだかせるに余りある、「酷さ」でありました。」
と、記しました。
これは、まさに、第一段階のショック状態の心境であった、と考えてよいと思います。

そして、「当時の、そのあまりの激しく耐え難い感情的苦痛は、3年9ヶ月たった今でさえ、思い出すのが辛いほどであり」という記載どおり。
私は、今でも、グリーフワークの過程を辿っています。
そのことは、未だに、私が「母が死んだ」という表現をどうしても出来ない、したくないと感じていることにも、端的にあらわれています。
未だに、私にとって、母は、「あの世に逝った」以外には、ありえないのです。

それにしても、なんと。
それほどこの道のりは長いのか、と、驚かれた方もいらっしゃるとは思いますが。
しかし、これが「私にとっての現実」であり、そして、今の私は、「それでも、今、私は(再生)のプロセスにさしかかっている」と、自信を持って言えることが、嬉しく感じられます。
当時のあの途方もない絶望のどん底から、ここまでこられた「自分」に対して、ある種の愛しさといえる感情すら、私は、感じていますから。

実は、グリーフワークの道のりの長さは、個々人で違いがあり。
死者との親密度、死別の状況、死別後の周囲の支えの有無、その他、多くの要因によって決まってくる、その人個別の道である、ということが言えると、私は考えています。
ですから、半年で全てのプロセスを駆け抜けることの出来る方も、いらっしゃるでしょうし。
反対に、10年越しで半分のプロセスに至る方も、当然おられると思います。
これは、あくまでも個々人の関係する要因全てからもたらされる結果であり、けっして「正解・不正解」ではないことを、ご理解いただきたいと、強く思います。

そして、もう一つ。
この道を辿っていくにあたって、決して忘れてはいけないのが、この道は「逃げることも、ごまかすことも、省略することも、かわってもらうことも、できない」ということです。
あくまで、それを自分のものとして、逃げずに、立ち向かい、しかし、焦ることなく、1歩1歩自分の足で歩んでこそ。
やがて、確実にその道の終着点にたどり着くことが、できると。
そう、今の私には、断言できます。

悲しみが終わり、悲哀の仕事が終了する日は、確実にきます。

……長くなりました。
今回で総論は終了して、次回からは各論に入っていこうと思います。

それでは、どうぞ、皆様。
頑張りすぎないで、御自愛くださいますよう、ご健康をお祈りしております。
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