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第一段階「ショック」(1) [グリーフ・ケア]

土曜からの動きは、明日の日曜の記事でまとめますので。
本日は、本当に久しぶりになってしまいましたが、「グリーフ・ケア」をエントリーしようと思います。

さて。
いままでのエントリーの総論で、グリーフ(悲哀)の特殊性について、触れてきましたので。
今回から、各論に入ります。

各論は、エントリーの初回に紹介した、サンダーズ氏の「死別の悲しみを癒すアドバイスブック」の中に示されている、「悲哀の仕事(グリーフ・ワーク)」の五段階の各プロセスについて。
順を追って、記していきたいと思います。

本日は、「第一段階(ショック)、第二段階(喪失の認識)、第三段階(引きこもり)、第四段階(癒し)、第五段階(再生)」の「五段階」の、最初。

第一段階(ショック)ついて、述べていきます。

大切な人を失った時。
ほぼ例外なく、誰もが示す最初の反応は「ショック」である、とのことですが。
その死が予測されていたものであれ、突然何の前触れもなく起こったことであれ。
残された者は、「信じられない」という気持ちになると、サンダース氏は述べています。

私の母は、2007年8月2日、午後8時23分、右心室細動で瞬間死しましたが。
元気だった母と別れてから、病院で死亡宣告を受けるまで、実に1時間30分ほどしか経過していませんでした。

このカテゴリーの最初のエントリーに。

同日午後6時55分。
母は、いつも通り元気に、私の車で、お茶の出稽古に行き。
そして、私が自宅に戻った瞬間、家電に母が倒れたとの一報が入り……それから……。
救急救命室で、一人で医師から母の死亡宣告を受け、目の前のベッドに横たわる母のだらんと垂れた左手を握った時。
その手の冷たさに、母の魂は、もうとっくに肉体から去ってしまったのだと、悟った時。
あの瞬間、私は、地獄に堕ちました。

と、記しましたが。
その瞬間、私の頭の中で鋭く交錯したのは、「信じられない」と「これは現実だ」という相反する二つの思考でありました。

ここでの「ショック」とは、精神的外傷(トラウマ)を表す言葉とのことですが。
その時の切り裂かれるような心の痛みを思い出すと、「外傷」という言葉がより実態を表していると感じます。

まさに、その瞬間の私は、ショック状態そのものだったのです。

さらに、精神的外傷(トラウマ)の大きさは、いろいろな要素によって、左右されると。
いつ、どこで死んだか、どのような過程で死に至ったか。
それらが、ショックの大きさや、それが続く期間の長さに影響を与えるということを、サンダース氏は述べています。

つまり、ショックは、多様化して然るべきであり。

心の傷の大きさ、形、深さは、一つとして同じものはない。

ということを、まず、御理解いただきたいです。

一方、ショックに対する反応は、だいたい以下に類別される、とのことで。

その精神的特徴として。
「警戒心が異常に強くなる」
「実際に起こったことが、信じられない」
「気持ちが落ち着かず、いてもたってもいられない」
「夢の中の出来事のように感じる」
「自分ではどうしようもないという無力感に襲われる」などが挙げられ。
誰もが全てを経験するわけではないが、概ねこれらの状態を経験する人が多い、とのことです。
実際、私は、これらの全てを一通り体験しました。

また、身体的特徴としては。
「口の中が乾く」
「身体が震える」
「ためいきやあくびがでる」
「身体がびくっと痙攣する」
「身体に力がはいらない」
「眠れない」
「泣く」
「食欲がない」などがあり。
私は、このうち「口の中が乾く」「眠れない」「泣く」「食欲がない」の四つを、体験したと記憶しています。

これらの身体的特徴は、精神的外傷のストレスからくるもので、主に、自律神経である交感神経が優位になることによるのですが。
当初は、葬儀等のおびただしい雑務の中にあって、その自覚すらなく。
それらが症状として認識されたのは、告別式も終了し、自宅で一人になった時だったように思い出されます。

ただ、私は、家庭的な理由から、突然の葬儀・告別式の一切の責任を一人で乗り越えねばならなかったので。
特に、その間は、混乱することすら自分に許しませんでしたから。
それ故に、自覚症状の認識が遅れた可能性も、否定はできないと考えます。

以上が、「ショック」期に起きる事柄ですが、それぞれについて、さらに掘り下げて述べるのは、長くなりますので、次回……。
と、いうことに、いたします。

最後に、このエントリーを記すに際して。
改めて、2007年8月2日以降のエントリーを読み返す作業は、当初考えていたよりも100倍辛いものでした。

それは、ここ最近、すっかり回復して。
以前の未来志向の自分に戻れたように感じていた自信を挫くのに、十分すぎる破壊力であり。
未だ、私がグリーフ・ワークの道から卒業しきってないのを、再認識させられたことも、述べねばならないと思います。

それでは、どうぞ、皆様。
頑張りすぎないで、御自愛くださいますよう、ご健康をお祈りしております。
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